4回目のラボはコーヒーブレイクがてらコラムっぽく旅館について調べてみたいと思います。なぜ旅館なのか?と言うと、今までラボでは宗教施設と生産施設について調べたので、次は商業施設を取り上げたいという思いからです。そして色々な商業施設の中でとりわけ旅館がきめ細やかなサービスが必要な業種であり、またそのサービスの一環として建築が深く関わることができる施設です。確かに美味しいラーメン店などでは内装や建築を度外視してもそれ以上の価値を提供できるかもしれませんが、旅館においては建築とそこで提供される価値が同じ方向を向いていなければ単なるハコモノになってしまいます。建築と使う行為が乖離していた時代を通過してきた旅館を調べることで社会と建築のありかたが少しでもみえてきたらと思います。
旅籠とは異なるルーツをもつのが全国の温泉地から生まれたリゾート系の湯治宿です。旅籠は全国の街道を往来する旅行者や商人の宿泊施設だったのに対して、湯治宿は温泉を利用して保養や病気療養をする為に長く滞在する施設です。631年有馬温泉に舒明天皇が3ヶ月滞在したのが日本書紀に記されているように、古くは貴族や皇族など権力者の一部で湯治が行われていました。しかし、街道が整備され移動が楽になると伝え聞いた温泉の効能に期待して多くの人が利用するようになり、徐々に大衆化していきます。江戸時代後期には一般の人の間でも湯治が盛んに行われるようになりました。
湯治宿では長期滞在する客がほとんどなので、客は滞在中自炊で過ごすものが多く、宿としては宿泊場所を貸すというのが主な仕事でした。しかし旅籠が増えると共に自炊材料をもたない客が増え食事を出す宿へと発展していきます。明治以降、新たに温泉が開発され元々外湯を利用していたのが、内湯を設置することが可能となり、今の温泉旅館に近付く契機となったようです。
人々の移動手段が劇的にかわる時、今までになかった価値体系や構造が生まれ、新しい社会の仕組みが生まれます。明治時代、社会の仕組みが劇的にかわった時、旅館においても大きな変革がおこりました。江戸から明治に時代がうつる時に新たな交通体系が構築されました。明治2年に新橋〜横浜間に日本が初めて建設した鉄道が開業して以降、全国各地で鉄道建設が始まったのです。沿線の拠点に設置された駅は旧街道の宿場とは大抵の場合一致せず、離れた場所に新設されました。この交通改革によって徒歩旅行から鉄道旅行へ移行し、宿場町が衰退してしまう結果をもたらしました。鉄道によって移動距離が飛躍的に延び、輸送キャパが増えると旅行の仕方も大きく変わっていきます。鉄道省のキャンペーンと共に団体観光旅行がブームになります。国鉄の団体観光旅行客輸送人員も大正4年には966万人だったのが、昭和11年には1747万人にまで増えています。この数字は人口の25%に当たり、団体観光が大衆的なものだったことがわかります。
さて旅行の近代化と共に新たに生まれたのが旅行代理店です。日本交通公社(現JTB)はお客に旅館券を売り、協定していた全国の旅館に送客しました。協定旅館の数も当初の577軒から昭和30年には3700軒に増え、送客数も昭和24年の125万人から昭和30年には520万人へと激増していきました。この協定旅館制度は旅館にとってはマーケティングや営業力がなくても集客でき、信用度も向上することが期待できるという大きなメリットがありました。他方、旅行者にとっても事前に情報収集ができ安心感が得られることから現在のようなネット社会以前においては有向な相互関係が成り立っていたといえます。
大まかながら近代旅館ができるまでの流れをみてきました。戦後の復興期を終え、経済が成長するにつれて国内の温泉利用者も増大していきます。全国の温泉地では新たな温泉旅館の建設と旅館の収容能力を拡大し、バブル期の頃には設備投資と施設拡大がピークを迎えます。時代はバブル。地域や職場による団体旅行と宴会はセットで旅館に大きな収益をもたらし、旅館側も設備投資を回収する為に多くの団体客を受入れました。結果、宴会用の大皿料理に代表されるようにきめ細やかなサービスが行き届かず品質が落ちていくことになります。サービス様式は固定化され規模のみ大きくなっていきました。
大手旅行会社もこの動きを後押し、資金の貸付けやコンサルティングを行い、予約が入らない部屋は旅行者のトレンドに合わせて改装させていきます。こうして日本旅館の多くは、お客ではなく旅行会社に耳を傾けながらサービスをするおかしな経営をおこなっていくことになります。やがてバブルが崩壊すると団体需要が一気に減り、大きな借金と巨大な施設だけが残ることになったのです。それは景観とは不釣り合いな位、大きいコンクリートの塊でした。
バブルの崩壊と共に収容人員を拡大させ、極端な合理化、サービスの固定化をすることで収益を上げるという時代が終わりを告げました。旅行の形態も団体客から家族、友人等の小グループへとシフトし、最近では個人で自分の為の旅行をする人も少なくありません。しかしながらソフトとは別に建築は従来の団体客相手の形のままで、時代や顧客のニーズに対応しきれなくなっています。建築を取り壊し新しいコンセプトで改修・再生できる所とは違い、建築は旅館にとって大きな足枷になってる場合がほとんどなのです。
さてそんな大きな足枷の為、中々再生出来ず破綻してしまった会社を再生させる企業があります。ご存じ星野佳路率いる星野リゾートです。星野リゾートは日本の旅館運営のプロフェッショナルで自ら旅館を所有するのではなく旅館運営をし、旅館を再生させる会社です。星のや軽井沢を皮切りに山代温泉<白金屋><トマムリゾート><リゾナーレ><蓬莱>等数々の有名旅館、リゾートを再生してきました。
そんな星野リゾートの再生の一例をみていきたいと思います。静岡県浜名湖湖畔の舘山寺温泉で手がけたのが<花乃井>です。もともとは300人収容できる大型のリゾート温泉旅館で、1997年に改修。しかし、客足は延びず星野リゾートに運営を譲渡し、2010年4月にリニューアルオープンしたホテルです。
星野リゾートでは従業員の縦割りだった仕事内容(フロントマン、仲井、配膳係等)を変え、1人の従業員が多様な仕事を受け持つことで人員の削減をはかっています。そして施設については麻雀ルームやカラオケルーム、ゲームセンター等の他の旅館にあるような施設はそのまま閉鎖し、使う面積を小さくして効率化を図っています。従来の大型温泉旅館では1・2階にロビーと使われていない遊興施設、おみやげ売り場、浴場が集中し、似た様なプランの為、他の旅館と差別化が図れていない旅館が日本全国にあります。それを花乃井では潔く切り放す試みをしています。また客室も61室から半分の33室に減らし、サービスが行き届くようにしています。ロビーにおいても徹底しており、今まで浜名湖が一望できるという景勝地の常套手段だった大きなロビーを、あえてコンパクトなロビーにまとめ、景観を遮るパーテションを新設しています。そこには他のホテルと同じことをしても仕方がないという考えと客室から見える景観をより強調できるという旅館改修のコンセプトがあります。
さて星野リゾートの再建策で重要なのはスタッフがすべて同じビジョンを共有しているという所にあります。トップダウンの組織ではなく、ビジョンを共有するチームとして組織が成立しており、同じ方向を向いてプロジェクトを進めることができます。そしてそれが星野リゾートのブランド力となり、全国のグループ旅館で他にないサービスを提供することができる原動力になっています。
ビジョンはコンセプトといいかえても良いかもしれません。星野リゾートではそれぞれの旅館に新しいコンセプトを従業員に考えさせ、それを共有することを再建の一歩にしています。例えば所有する<星のや軽井沢>では心のおもむくまま自然の中で時間を過ごすことができる「谷の集落」をコンセプトとし、ランドスケープや設計にもコンセプトが直接反映されています。伊東温泉<湯の宿いづみ荘>では熟年女性のマルチオケージョンをコンセプトに熟年女性を中心に親子3代が色々なお風呂を楽しめる旅館づくりがなされています。このように明確なビジョンが共有されていると建築も同じ方向を向くことができます。パッケージ(建築)だけをコンセプトと無しに機能性などを手掛りにつくるという時代では確実になくなっているようです。
しかし、一方でデザイナーズ旅館なる聞こえの良いものができているのも事実です。これも同様にビジョンを共有していなければ単にかっこいい内装というだけになってしまいます。内装は日々経年変化していくものです。リニューアル時がピークになり、リピーターが足を運ばなくなる可能性が高くなります。したがって、サービスと空間は相互にコンセプトを共有し補完し合わなければなりません。ここに旅館設計の手がかりがありそうです。
<花の井>では遊興施設の閉鎖やロビーの景観を遮ったりと、今まで旅館にとって当たり前だと思われていた部分を変化させることで新たな価値を生み出しています。その他にも星野リゾートでは今までの旅館には無い24時間サービスや<星のや軽井沢>で行われている2泊からの予約制。また<星のや京都>ではコース料理ではなく、自分で好きな量だけを食べれるアラカルトで食事ができたりと、日本の旅館で常識化していたものを変えることで他とまったく違うサービスに結びつけています。
一方で星野リゾートは日本の地域文化を正当に評価し、さらに進化させ、それらを提供することで他と違う価値を生み出しているという側面も持ってています。日本の地方都市はだいたい水が美味しく、魚が美味しく、蕎麦が美味しいというのが定番で、どこでも同じ価値を提供しています。しかし地元の人しか気付かないちょっとした差異を提示することを旅館のサービスの根幹とし、その提供の仕方を少し進化させることで他と差別化するのが星野リゾートのやり方です。これはデザインや料理と同じで、大きな流れに身をまかせ一部を進化させることで新しい物を生み出すということです。例えば日本人がもっている季節感やそれに伴い行われる行事。春には花見をし、冬になれば蟹を食べる。こいう一連の生活文化に逆らわずそれを少しだけ現代的にアレンジしてみる。結果、他と違う価値を生むのだと思います。
ざっとながら旅館の歴史を中心にみていきました。交通と旅館は非常に密接な関係であることが分かりました。現在の日本は交通網が発達し人は動きやすくなりましたが、金額がとても高く、なかなか一筋縄に旅行することができません。政府は観光立国を目指し、年々訪日人数も増加しています。しかし、格安航空会社で日本に来てもそこからのネットワークがあまりに高過ぎれば旅行しやすい国とはいえません。日本の日本らしさは地方にこそあるのですから、新しい交通体系の構築が必要だと思います。
そして今日に続く旅館再生時代においては星野リゾートのようなクリエイティブな再建が必要だということがわかりました。クリエイティブとは価値を共有しながら他と違う価値を生み出すというこです。企画(ビジョン)を共有しなければ、苦難を乗り越えることが難しい時代です。デザイナーズ+部屋付き露天風呂というだけでは顧客に薄っぺらさを見破られてしまいます。同じ改装ならコンセプトのある、先を見据えた他とは違う価値を提供できる旅館の改修・再生が必要になります。
最後に旅館の起こりが民泊から始まったように、やはり家にお客を呼ぶ時のような気配りが旅館の原点なのだといえます。もう一度、宿屋に立ち返りホスピタリティを見直せば常習化していた価値体系を組み替えることができるかもしれません。もしかしたら当たり前だと思っていた所に今後の旅館の行方を占う鍵が落ちているのかもしれません。
参考:『旅館業の変遷史論考』木村五郎(福村出版)/『日本の宿』宮本常一(八坂書房)/『旅館再生』桐山秀樹(角川oneテーマ21)/『プロフェッショナル仕事の流儀 リゾート再生請負人 星野佳路の仕事』DVD/『BRUTUS 日本の宿 BOOK』(マガジンハウス)『BS日テレ T.B.L 財部ビジネス研究所〜逆境をビジネスに変える〜温泉リゾートの挑戦!』