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第1回 三徳山三佛寺:場所性と空間構成

1-1.序

1回目は鳥取県にある三徳山三佛寺の空間構成や場所性についてです。歴史や文化財、建築単体の研究等は多いのですが、複雑な道程や建築の配置を含めた空間構成などの研究はあまりされていません。山全体が聖地である三徳山においては先人の場所を読む力や、またそれの力を引き立てる建築群によって今日まで”パワースポット”であり続けられたといえます。そこで今回は投入堂だけではなく三徳山全体の場所性や空間構成について調べてみます。


1-2.位置

三徳山は鳥取県の中央部にある東伯郡三朝町の東方に位置します。ここは三徳山だけでなく三朝温泉があることでも有名です。

大山火山系のトロイデ状の山容は南側に小鹿川、北側を三徳川に囲われており、ほぼ独立した山岳形態を示しています。(標高900m)

 

 

 

 


1-3.歴史

「伯耆民談記」によれば、慶雲3年(706)年に役行者が神窟を開き、子守、勝手、蔵王権現を安置したとされています。その後、嘉祥2年(849)慈覚太師が釈迦、弥陀、大日の三佛を安置。浄土院美徳山三佛寺と号したと伝られています。古代には堂社41宇、坊舎3千件、寺領1万町余もあったのですが時代の変わり目に様々な戦火や火事に見舞われ文化財など多くが焼失しました。しかし今でも堂社11宇があり、当時の姿を垣間みることが出来ます。

 

 

 

 


1-4.建築

国宝の投入堂は有名ですが、その他にも重要文化財で掛造りの文殊堂、地蔵堂や江戸初期に建てられた入母屋造の観音堂があります。不動堂、元結掛堂、納経堂、十一面観音堂など小さい祠や鐘楼堂等全部で9つの堂宇が700mの険しい山道に配されています。

 

 

 

 

 

 

 


2-1.場所性

場所性ときくと少し難しく考えてしまいがちですが、ようはその場の持つ固有性です。固有性とはいいながら聖地というのはだいだい普遍的に人々に聖性を与えうる場所なので、全国的に似た様な場所を選ぶ傾向があります。良い住宅地の立地条件が似通っているのと同じです。人々が住んでいる集落との位置関係や山や河川による地形条件、そして地質等が聖地の場所選びの決め手です。


2-2.集落と聖地 集落ある場所に聖地あり!

まずは人々が住んでいた集落と聖地の関係です。

日本人は古来、山の懐に囲われた母性的な地形の盆地や谷、山辺を好み生活をしていました。現代の様に平地の真っ只中に住むようになったのは近世以降の話です。山と共に生活をしてきた日本人にとって村落の原風景はどこも似通ったものであり、集落の廻りの山に信仰を求めるのも全国的に見ることができます。このような考えは景山春樹氏、宮家準氏、神代雄一郎氏がモデル化しています。右の図は宮家準氏の村落共同体の空間モデルを示したものです。

居住空間となるのがサト、タ、サトヤマです。サトは民家や氏神、寺、墓があり日常生活が営まれる場所です。タは田畑などの耕作空間であり、サトヤマは建築用材や燃料の採取地です。この3つが共同体での生活空間です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一方これに対して共同体とは無縁なのがハラ、ヤマ、ダケの空間で、ハラは未開墾地。タより下流域にあります。ヤマは水田耕作民に追われた山人が住んでいる所です。昔話にでてくる山姥もこのへんの話と関係しているとおもわれます。ダケは川の水源地であり、天界に通じる聖地とされていました。

この構造の中で神は特別な時にだけ山から川沿いに里宮、田宮におりてき、逆に死者の霊は山に昇っていくと考えられていました。目に見えない神や霊魂が川という軸線を動くことで、山宮-里宮-田宮という秩序による原風景が構築されています。

三徳山においても 竹田川が神や霊魂の道でした。 その廻りに和名抄にもでてくる三朝郷、竹田郷等の集落があり、その奥山であるダケとして三徳山を聖地として崇めたものといえます。


2-2.聖地の地形 特別な地形が聖地に選ばれます。

樋口忠彦氏は『日本の景観』の中で日本の典型的な地形空間を7つの型に分類しています。これらの分類の中で山宮に関わる場所を選ぶと、その多くが右図の2つの型に分けることができます。国見山型はランドマーク性の高い目立つ山で平地から突出することで信仰の対象になった山です。富士山や奈良の三輪山、鳥取の大山等が良い例です。

一方の隠国型は長谷寺、室生寺、鞍馬寺等の谷の奥にある聖地です。樋口忠彦氏は「両側から山のせまる谷と水のつくりだす奥へ奥へと誘いだす空間」といっています。これらは精神の緊張感、高揚感、期待感を演出し、死者の霊が上昇し昇華する感覚と似ており山宮がおかれるケースが多いようです。

 

 

 

 

 

 

 

 


2-3.聖地の風景 奇跡的景観に神が宿ります。

聖地は日頃中々お目にかかれない特殊な景観の場所におかれます。メテオラの修道院群、ルピュイのサン・ミシェル・デギュイ礼拝堂、ルルドの洞窟等例は色々あります。

三徳山の地質の基盤は中国地方に広く分布している花崗岩にあり、この上に凝灰岩が被い、さらに通称三朝層群と呼ばれる火山性の凝灰角礫岩、火山砕屑岩群の層が被っており最後に安山岩がきています。三徳山中腹の凝灰岩類や火山砕屑岩類は比較的もろく、侵食を受けやすい特徴をもっており、投入堂や観音堂の断崖、岩窟部分は上部の安山岩と花崗岩が固く、中腹部がもろい岩石で構成されており、地質構造はきわめて複雑です。この複雑な地質と長い年月の風化、侵食によって巨岩や岩窟などが至る所にみられる他にない景観をつくりだしています。

 

ギリシャのメテオラ

 

 

 

 

 


2-4.小結 西洋・中心性→日本・奥の思想

聖地の場所選び全貌は見えてきたと思います。三徳山においては竹田川中流で形成された集落の人々がその上流に聖地を探しました。そこは奥へ奥へ引き込まれる空間で隠国型の聖地です。その山々の中でもトロイデ状の独立した山容をもち、かつ巨岩や岩窟が至る所にある三徳山が格好の場所だったといえます。

場所選びにも霊魂や神が行き来する道があり、天界と下界を繋ぐ場所が三徳山という大いなる物語がありました。これは西洋の聖地とは少し異なった性質をもっています。エリアーデがいう聖なるものは天と地を結びつける世界軸であり、混沌とした空間に秩序をあたえるもので、教会を中心につくられる西洋の都市が良い例です。

 

襖による奥の強調

 

 

 

 

 

 

 

一方で槇文彦氏が「見えかくれする都市」で述べている「奥の思想」は日本固有の空間概念で、中心性にもます聖地の秩序といえます。この本の中で槇は限られた空間の中に相対的距離、奥行きを設定することで、空間は重層化されるという日本人の宇宙観を明らかにしています。里宮の奥に山宮を設定し、その奥に神の気配を感じさせるという構造。また、谷沿いに奥へ奥へと導くことで山宮に至る道程。三徳山に至る道程を奥に進むという空間体験は日本人にとって神に近付く行為として、中心性にもまして重要であったといえます。


3.空間構成

続いては場所選びにも見られた大きな物語が三佛寺内の空間にいかに反映されたかを見ていきます。建築空間や都市空間など人間が作り出す物的環境の目的は空間に秩序を与えることです。ここ三徳山でも様々な要素を人為的に配することによりこの山に聖地としての秩序を与えています。


3-1.道・アプローチ 体験型修験道アミューズメント

アプローチとは2つの空間を直接繋ぐのではなくそこに中間体を設け繋ぐことです。茶室へ向かう飛び石は人間の動作にリズムと制約を与えることでお客を誘います。また、日本文化においてアプローチとは無心をつくる場、俗なる時間を超越する場であり宗教儀礼には欠かせないものです。

 

飛び石

 

 

 

 

 

 

 

三徳山において他の聖地とまったく違う正確をもつのがこのアプローチです。アプローチは葛坂や牛の背、馬の背など修験道の行場の名前がついた場所があるように修行の場を兼ねており、その険しさは下界から天界につながる道を演出してくれいます。この道程は険しいながらも距離が短いので、ほどよい緊張感を保った状態が続き、期待感を高めてくれ、 奥の院投入堂につくころには他にはない高揚感をえることができます。

この非日常的な体験を奥の院までの道程でできる場所は他にはなく、三佛寺を他のお寺や神社とは異なったものにしています。終着点の奥の院投入堂の美しさ壮麗さばかりが目にいきがちですが、投入堂までのアプローチを含めたデザイン性こそ三徳山の特徴であり財産だといえます。

 

 

 

 

 

 


3-2.点 空間の要所

天界と下界を繋ぐ線をデザインするのには点が必要になります。 回遊式の庭園では人工的につくられた結節点を巡回することで線が強調されています。四国遍路でも88カ所の点を参拝することで線となり、線を形つくることが修行となっています。日本文化には点によって線をうむ形式が数多く存在します。

植島啓司氏は「聖地の想像力」の中でエルサレムの黄金のドームやサン・ミシェル・デギュイ礼拝堂などを例に、「極めてシンプルな石組みをメルマールにする」と聖地を定義しています。 三徳山においても他の聖地同様にまず磐を点づくりの起点としています。 そこに人為的に建築をつくることでより点を強調しています。 建築は特異な場所の力を引き立たせるために、大きなボリュームや過剰な装飾が施されておらず、謙虚にその場を形づくっています。異なった形態、ボリュームの建築が布石の様に配されることで点を浮き彫りにし、動線を際立たせています。

 

 

 

 

 

 

 

 


3-3.小結

三徳山は建築単体ではなく、山全体でのグランドデザインによってその聖性を保持しています。メテオラの修道院群は三徳山同様に岩と関わる建築群で世界遺産にも登録されていますが、それらは一つ一つで自己完結し、全体としてはあまり機能していません。三徳山では特異な場を繋ぐことで、相互に関係がうまれ、全体となっています。特異な場所は建築によって引き立たされ、よりハッキリとした布石になっています。これらの布石によって奥へ奥へと誘う線がうまれ、我々を引きつけるのだといえます。


4.まとめ

宗教施設といってもそのほとんどが俗世界との繋がりが大きく、神聖な雰囲気を味わえる場所というのは少ないのが現状です。山岳伽藍においていも同様です。しかし、三徳山には他にはない圧倒的な神聖さを感じることができます。このゾクゾク感は竹田川を奥に奥に登り、そのまま死を感じる程の険しい道のりを体験した後に視界が開け、断崖絶壁に投入堂があるという、いわゆる緻密な演出、ストーリーによるものといえます。この演出は古来から繋がる死に対する日本人共通の感受性を刺激し、俗世界から乖離した世界を我々に体験させてくれます。 そして、この体験こそが三徳山を他にはない聖地としているのです。